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2009年5月28日 (木)

水の路地

Takatorigawa 家の裏庭にはかつて大きな池があったらしい。
背後の谷戸から湧き出す清流で、常に一定の水量をたたえる中々見事な池であったという。

断崖は現在家の70mほど後方に遠のいているが、
明治の末頃までは、家のすぐ裏手まで谷戸が迫っていたという話を亡くなった母親から又聞きした記憶がある。

母親も辛うじて池は覚えていたものの、山は既に削られた後で当然のように徐々に水量が減って、やがてその池も自然消滅したようだ。

「ここに池があったの」と指差された場所は、ユスラ梅の低木と、雑草に混じって何本かのダリアがある程度の、手入れのよくない裏庭の光景に過ぎなかった。
他に私が覚えているのは、裏庭の斜面にあった苔むした疎水跡くらい。今はもうそれもない。

昭和30年代頃、家の近くに川はなかったけれど、近くの谷戸には水場が多かった。

堰(セキ)と呼ばれた用水池、そこから流れ出る小川のような細い水路、谷戸の隅っこの泥鰌がとれた浅い沼や、ザリガニがたくさんいたドブ川や、何人もの子供が落っこちたと噂されるガサ藪の古井戸、
大雨の後だけに出来る不思議な水たまり・・・

雨上がりの眩しい光の中の、水面に映った青空の記憶。

富士見町にも、佐野にも、不入斗にもあったはずの川は
もうひとつも残っていない。
谷戸のあちこちにあった水場も、いつの間にか消えうせた。

あの頃の水は何処にいったのだろう。

(2009.05.28/イチロー記)

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コメント

東京を筆頭に 各地の水路はいつの間にか暗渠になってしまい 風景は一変したのですね。

そろそろ暗渠の蓋を引っぺがすときが来たんじゃないでしょうか。

投稿: gurikonoomake | 2009年6月 2日 (火) 08時28分

そう。昔はいたるところに小川が流れ、池や沼があり、水たまりができ、日々の暮らしは水とともにあったと言ってもいいくらいでした。
我が家も昔は庭の外れに小川が流れ、夏はホタルが飛び交い、イトミミズを採取しては金魚鉢の金魚にあたえていた、そんな記憶があります。
雨が降ると苔の密生した隣家との隙間には水たまりができ、カサを手にしゃがんで見ていると、アマゾンかどこかのジャングルを空から眺めているような錯覚におちいったものです。
あちらこちらの水たまりは子どもたちの遊び場だったし、護岸工事されていない川の淵は人を引き込む魔物が棲む場所、異界への入口で、夏休みが終わると、今年は何人が溺れたなどという噂がまことしやかにささやかれたものでした。
水は地下に閉じ込められ、人々は水と切り離されて生活するようになりました。だから、現代人は濡れることを極端に毛嫌いするようになったのでしょう。
水の記憶。
忘れないうちに掘り起こしてみたほうがよいのかもしれませんね。

投稿: ミチロー | 2009年6月 2日 (火) 09時11分

gurikonoomakeさん、

柏木田も今は埃っぽい、乾き切った道しかありませんが
明治22年より以前はその名のとおり一面の田んぼが拡がっていて、
上町寄りには大きな池があったんだそうです。

>・・・風景は一変したのですね。
確かに、水がある(見える)のと無いのとでは
全く別の景色に変わってしまいますからね。
大量に浪費している癖に、
防災管理上だか衛生上だかの理由で風景から消してしまう。
水のある風景は、人間の心にとって大事だと
思うんですが・・・。

谷戸の水脈も一部は埋められ、一部は暗渠化されて、
目に触れなくなったようです。

投稿: イチロー | 2009年6月 2日 (火) 17時28分

ミチローくん、

このコメントは、作品に発展できそうですね(笑)。

想像が付くかもしれませんが、水をテーマに取り上げたキッカケは
いっこ前の「隧道図鑑」でトンネルめぐりをやったことです。

横須賀は走水隋道とか、導水路から発展したトンネルが
とても多いんですよ。
そこから家の裏にあった池の昔話を思い出し、
子供の頃に遊んだ谷戸の水場を思い出した。
記憶というのは、水にまつわる過去を思い出すという人間側の記憶
もあるけど、
水自体が持っている記憶?というものも、
あるような気がしてます。

我々自身も大半が水ですからね・・・。

富士見町とか、佐野とかを歩いていると
ここは水が流れた跡じゃないか?と思われる地形が結構多いんです。

投稿: イチロー | 2009年6月 2日 (火) 18時01分

この水路の静止したかのような水面も 水溜りも 特別なフィルター効果をもった鏡のように 風景を映していましたね。
僕らは風景というものを水を透しても観ていたのですよね。

投稿: gurikonoomake | 2009年6月 5日 (金) 11時35分

そうですね。
水は、雲、霧、氷、雪・・と時々に姿を変えますが、
静止した水面のみが鏡になる、というのは理屈で分かっても不思議な特性ですね。

あと、角膜と水晶体の間は房水ですから、
元々人の目は水を透かしてモノを見ていることになるのかも知れない(-.-)。

富士見町界隈には川がないために、
トップフォトは追浜地区にある鷹取川で撮ったものです。
なんだかとても懐かしくて、暫くぼーっと静止した水面を見つめておりました(・_・)//。

投稿: イチロー | 2009年6月 5日 (金) 15時17分

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